2014.03.28|READYFOR?投稿記事 ,東北スタディツアー研修
被災地の視察に行きました!
READYFOR?をご覧の皆さま、こんにちは!
ご無沙汰しております、実行者の吉高です。
温かいご支援のお陰でプロジェクト達成から2か月が経ち、「CCJ×復興応援団 共助の防災勉強会」の開催や「墨田区・杉並区防災ワークショップ」の運営、そして「共助の手引き(仮)」の作成と具体的な動きも出ています。
詳しい活動は、Facebookページをご覧ください。
そして先日、「共助のための防災・減災研修」を作成する上で最も重要な被災地へのヒアリングを行うことができました。
簡単ではありますが、本日は視察の様子をご報告させてください。
【1日目 仙台市内~東北マンション管理組合連合会~】
より都市での災害イメージに近づけるため、今回は仙台市内のマンションにお詳しい方に話を伺いました。
東日本大震災での被害データを細かく分析しており、独自にマンション住居者用の防災手帳を作成されているそうです。
「指定避難所があふれ返り、自宅マンションに戻らざるを得ない方もいた」
ただでさえ避難所が不足するであろう都市部、やはり公助だけでは生き延びることができません。
「マンション単位での備え、普段からのコミュニケーションが非常に重要だった」
【仙台市内~多賀城市の市民活動サポートセンター~(当時)】
皆さんは仙台市の北東、多賀城市をご存知でしょうか。
仙台港の恩恵を受け沿岸部では産業が盛であり、また仙台からのアクセスが非常に良いことからベッドタウンとしても人気があります。
首都圏でも似たような場所がありますね、このベッドタウンを襲ったのが「都市型津波」でした。
都市型津波の特徴は、必ずしも海から波が来る訳ではないということ。
ビルやマンションの間を抜け、川をさかのぼり、場合によっては後ろから攻められることもあるそう。
また沿岸部ではトラックの交通量も多いため、津波警報後の渋滞で命を落とされた方もいます。
東京湾は津波の影響を受けにくいとされていますが、「想定外」が起こってからでは遅いのです。
仙台湾から学ぶことは多々あり、東京湾は船の沖出しについても考えなくてはなりません。
さらに多賀城市はピンチを迎えます。
発災時、市内で39ヶ所12,000人以上が避難所への移動を余儀なくされました。
しかしながらライフライン全てが壊滅状態のため、市からの発信が一切できなくなったことによる「支援物資の調達遅れ」が起きたのです。
マスコミの報道により仙台市そして塩竈市には届くものの、陸の孤島となってしまった多賀城市。
避難生活では「情報をいかに手に入れるか、または発信するか」が非常に重要です。
にわかに信じ難いことですが、発災後は数百メートル先の避難所情報でさえも入らなくなるとか。
【2日目 利府町~災害拠点病院で活躍された宮城県民主医療機関連合会~(当時)】
お話を伺った災害拠点病院の避難訓練は、様々なケースを想定し役になりきって行われるそうです。
当然、発災時は多くの人が病院へ助けを求めに来ました。
しかし本当に大変なのはその後、避難所生活のサポートだったそうです。
インフルエンザの蔓延、トイレの処理、栄養不足、低体温症から心のケアまで。
またボランティアマネジメントの問題も浮き彫りになり、被災地における日々の状況変化に驚かされました。
【仙台市内~片平地区連合町内会~】
仙台駅にほど近く、大学や自動車教習所、観光地やスポーツ施設、高層マンションを抱える町内会長さんに話を伺うことができました。
片平地区町内会は平時から積極的なまちづくりを行っており、発災の翌日には災害対策委員会が発足していたそうです。
避難所運営も各町内会が分担をするなど、非常に迅速な対応を取られていました。
これだけの訓練をしていても、大震災では「想定外」が起こります。
街の中心である仙台駅が近いことから帰宅困難者が避難をし、大学が立ち入り禁止になったことによる留学生の多国籍対応に追われました。
また伊達政宗ゆかりの地として人気な地域ゆえ、観光客の受け入れも行ったそうです。
全くもって初対面の方々が備えもなく集まり、指定避難所である片平丁小学校は定員を遥かに超える1,500人であふれました。
首都圏ではどうでしょうか、帰宅困難者・留学生・観光客…まさに身につまされる思い、決して他人事ではありません。
高層マンションでの被災、都市型津波、帰宅困難者、留学生の多国籍対応、観光客、避難所運営。
今回のヒアリングでは、より都市部で起こりうる問題にアプローチすることができました。
同時に「より大きな危機感を抱いた」「立場によって思考の違いがある」、という意見も挙がっています。
「よき避難者」というコンセプトと「大震災のリアル」がより近づいたこのタイミングで、「共助の手引き(仮)」の作成に入りますので今しばらくお待ちください。
最後になりましたが、アテンドいただいた復興応援団の皆さん、本当にありがとうございました。
Community Crossing Japanと復興応援団はこれからも活動し続けますので、どうぞよろしくお願いいたします!